睾丸やお尻を重点的に刺激する韓国エステブログ:22/10/13
昔からお母さんは病弱で入退院を繰り返していましたが、
元気な時はわたくしや姉に料理を教えてくれたり、
手作りのスナック菓子を作ってくれました。
学校から帰って、台所の出窓に、
すり鉢とすりこぎとザルが並べられているのを見つけると
心が躍ったものです。
なぜなら、
お母さんの手作りのスナック菓子が用意されている合図だったから。
からだこそ弱かったものの、
好奇心旺盛で料理好きなお母さんは、
わたくしや姉を料理教室に通わせ、
料理に必要な材料は全て揃えてくれました。
その頃は珍しいガスオーブンを使った料理を作り、
包装紙の裏にメニューやその日に使うお皿を箇条書きに書き並べて
楽しそうに料理をするお母さんを見て、
わたくしもいつしか料理の世界に惹きこまれていきました。
お母さんはわたくしが23歳の時に他界しましたが、
今でも私の偉大なる先生なのです。
わたくしがまだ小さい頃、我が家では、
毎年1月3日にお父さんの会社の人たちが大勢集まり
会議を開くという恒例行事がありました。
家中に目標を書いた紙を貼って、
9時からお父さんと会社の人たちはゴルフ大会。
その間、
お母さんとわたくしと姉は、
人数分の料理の支度をするのです。
小学校低学年だったわたくしは、ホワイトソースを作る係。
薪をくべたストーブの上で
一生懸命ホワイトソース作りに専念したものでした。
家族の一員として責任ある仕事を任されたという気持ちで、
わたくしはその時間がとても好きでした。
そしてもう一つの楽しみは、
お父さんからの一年間がんばったご褒美。
姉やお兄ちゃんにはお年玉、
まだ小さいわたくしには、ちょっと変わったご褒美が手渡されるのです。
「一年ありがとう」
そう言ってお父さんはわたくしに箱いっぱいの「冬苺」をくれました。
当時はめずらしい苺で、わたくしはそれが楽しみで仕方ありませんでした。